「帰らなかった」と「帰れなかった」は同じではない
「お盆なんだから帰って当然」と地理教師が簡単には言えない理由
こんにちは。地理おた部です。
「お盆なんだから、実家に帰るんでしょう?」
何気ない一言です。家族に会う。お墓参りをする。久しぶりに地元の友人と話す。離れて暮らしているからこそ、帰省の時間を大切にしている人もたくさんいるでしょう。
私も、家族や故郷とのつながりを大切にすること自体を否定したいわけではありません。
でも教師として、人の生き方について話すとき、どうしても言い切れない言葉があります。
「家族を大切にしているなら、帰るのが当然だよね」
これは、本当にそうなのでしょうか。
今週のレターでは、お盆の移動を地理から考えてきました。高速道路では、なぜ毎年似た場所が渋滞するのか。混雑すると分かっているのに、なぜ人は同じ日に動くのか。そして金曜日には、「100km先より50km先の方が遠い」という時間距離の話をしました。
今日は、その続きです。
地図の上で実家まで100km。新幹線で数時間。車なら半日。数字だけを見れば、「帰れる距離」に思えるかもしれません。
でも、
「帰れる距離」と「帰れない距離」は、kmだけでは決まりません。
今日は学校の授業なら少し扱いにくい、「家族」と「地理」の話です。
500km先の方が「近い」ことがある
まず、金曜日の話を少しだけ思い出してみましょう。
Aさんの実家は500km離れています。でも最寄り駅から新幹線一本で行けて、駅から実家も近い。一方、Bさんの実家は100kmしか離れていませんが、鉄道を何度も乗り継ぎ、最後は本数の少ないバスに乗らなければならない。
直線距離では、Aさんの方が圧倒的に遠い。しかし実際に帰ることを考えれば、Bさんの方が大変かもしれません。
ここで重要なのは、人は「km」を移動しているのではなく、交通網の中を移動しているということです。
道路、鉄道、駅、空港、バスの本数、乗り換え。それらが組み合わさって、私たちの「近い」「遠い」をつくっています。
だから新幹線ができても都市そのものは1cmも近づかないのに、私たちは「あの街が近くなった」と感じます。
変わったのは場所ではありません。
場所と場所の関係です。
「遠さ」には、お金も時間も入っている
交通の世界には、移動の負担を運賃や料金だけでなく、所要時間も含めて考える「一般化費用」という考え方があります。
たとえば、安いけれど5時間かかるルートと、高いけれど2時間で行けるルート。私たちは単純に「安い方」を選ぶとは限りません。時間にも価値があるからです。
この考え方で帰省を見てみると、「実家まで200km」という数字だけでは見えないものが出てきます。
往復の交通費はいくらか。何時間かかるのか。一人で移動するのか、家族全員なのか。子どもを連れているのか。何度乗り換えるのか。
同じ200kmでも、誰が移動するかによって負担は変わります。
しかも、お盆のように移動が集中する時期には、混雑も加わります。水曜日の記事で考えたように、「混むなら別の日に帰ればいい」と言われても、帰省日は自分一人では決められません。
自分の仕事、家族の休み、子どもの予定、帰省先の予定。そうしたものが重なった、わずかな期間に人が集中します。
つまり帰省の負担は、
距離+時間+お金
だけでも、まだ説明しきれません。
ここから先に、私が今日いちばん考えたい「距離」があります。
帰省には、地図に載らない「もう一つの距離」がある
私は教師として、「家族を大切にしよう」と言うことはできます。
でも、「大切なら帰るはずだ」とは言いたくありません。
なぜなら、その人にしか見えない「距離」があるからです。
ここからは、交通地理だけでは測れない帰省の距離と、私が生徒に「地元を大切に」と簡単には言い切れない理由まで考えます。