「正しい地図」を教えるだけでは足りない 地理教師が生徒に「地図を疑ってほしい」と思う理由
授業で地図を見せながら、
「この道を通れば、駅まで一番近いですね」
と説明する。
ごく普通の授業です。
地図上で距離を測れば、その説明は間違っていません。
けれど今週、歩行空間についての記事を書きながら、ふと引っかかりました。
もし、その教室に車いすを利用している生徒がいたら。
もし、足をけがして松葉づえを使っている生徒がいたら。
地図上では一番近い道でも、途中に階段があれば、その生徒にとっては「一番近い道」ではありません。
教師として説明したことは、地図上では正しい。
それでも、誰にとっても正しいとは限らない。
この違いを、私はどこまで授業で伝えられているだろう。
そんなことを考えました。
地図は「間違っている」から疑うのではない
今週、月曜日の記事では、地図アプリに「徒歩8分」と表示されていても、その8分が誰にとっても同じではないことを書きました。
水曜日には、国土交通省が歩道の幅や坂、段差などをデータとして整備しようとしている動きを取り上げました。
金曜日はさらに、実際に街を歩き、地図には見えていない「通りにくさ」を探してみる記事にしました。
三つの記事を書きながら、ずっと頭の中に残っていた言葉があります。
地図は、現実そのものではない。
これは地理を学ぶうえでは当たり前のことです。
現実の世界にあるものを、すべて一枚の地図へ描くことはできません。
道路、建物、川、標高、土地利用、人口。
何を載せるかを選び、必要のないものを省き、複雑な現実を分かりやすく表現する。
だから地図は役に立ちます。
もし現実をすべてそのまま載せようとしたら、情報が多すぎて、かえって何も読めない地図になってしまいます。
つまり、地図から何かが抜け落ちていること自体は、欠陥ではありません。
省略することも、地図を作るために必要な仕事です。
ここは、生徒にもきちんと教えなければならないと思っています。
ただ、その次にもう一歩だけ進んでほしい。
私は最近、そう感じることが増えました。
「この地図には、何が描かれていないんだろう」
地図を見るとき、私たちはどうしても「描かれているもの」に目を向けます。
高速道路はどこを通っているか。
人口が多い地域はどこか。
工業地帯はどこにあるか。
雨が多い地域はどこか。
もちろん、これらを読み取る力は大切です。
でも地図には、もう一つの読み方があります。
「描かれていないものを見る」ことです。
今週扱った歩道の段差もそうでした。
普通の道路地図には、数センチの段差まで描かれていません。
地図として間違っているわけではありません。
その地図を使う目的には必要ないから、省略されているだけです。
ところが、車いすで移動する人には、その省略された数センチが重要になることがあります。
すると、
「この地図は正しいか」
だけではなく、
「この地図は、何を見るために作られているのか」
という問いが必要になります。
さらに、その先には、
「この地図を使うとき、誰のことが見えにくくなっているのか」
という問いもあります。
地図を見ることは、世界を見ることです。
だからこそ私は、生徒に「地図を覚えてほしい」だけではなく、いつかこんな問いを持ってほしいと思っています。
「この地図には、何が描かれていないんだろう」
ただ、ここには教師として少し難しい問題があります。
地図の正しい読み方を教える立場の私が、生徒に「地図を疑ってほしい」と言っていいのだろうか。
私自身、そこをずっと考えています。